亀田 駿介

代表取締役

建築にかける想い

私にとって建築とは、アートでもなければ単なるシェルターでもありません。
どちらかというと衣服に近いイメージです。別に大層な思想があるわけではないです。

例えば、高級な素材を使ったスーツやドレスをしつらえたとしても、それを着る人の体型にあっていなければ意味がないと思うわけです。逆に普通の素材や、それこそ質素な素材でも身に着ける人の体型にベストマッチしていたら当人にとって意味のあることだと思います。

ただ、建築の難しいところは衣服みたいに個人にフォーカスすることより、複数にフォーカスしなければならない事の方が多いことと、規模が大きくなるため建設される地域や社会に対しての影響も大きくなることです。その建築を使う人たちや建設される場所にとっての最適解を模索していきます。
だから土地のコンテクストを読むためのリサーチは必須です。もちろんここが楽しい部分でもあるのですが。

もう二つ心掛けていることがあります。
一つは素材の表情や特性を生かすことです。
装飾をふんだんにあしらうというよりは、使用する素材そのものが装飾の替わりになるような考えです。コテコテな感じはあまり得意ではないかもです(笑)

もう一つは、自分にとって可愛く思える要素を持たせることです。
これはエゴなのかもしれません。もちろんクライアントの要望を踏まえた上で考えますが、やはりできたものを自分が好きになれなければ、それはクライアントに提案すべきものではないという思いがあるからです。
これでいいやではなく、これが良いを追求していきたいです。

略歴

1982年 茨城県笠間市出身
2006年 大学卒業後、株式会社エイプラス・デザイン入社
2016年 同 東京事務所長に就任
2022年 同 取締役に就任
2024年 同 代表取締役に就任

もう少し自己紹介

原点回帰

幼稚園児のころから絵を描くことや、プラモデルを作ることが好きな子供でした。

特段飛びぬけて上手いとかではなかったですが好きだったことを覚えています。そんな私が建築に進んだのは、高校生の時に否が応でも進路を考えることに直面し、漠然と営業や事務的な業種ではなく何かを作りたいと選んだのが建築でした。(建築だって営業職、事務職は必須なのに当時は全然しりませんでした)特に有名な建築や建築家などから感銘を受けたとかではなく、ただ単に家を作りたい、細かく家は家を作るため設計図を描きたい。そう思っていたと思います。

そうなんです、今思い返すと私は建築が好きというより、設計図が好きだったのです。

線が沢山描かれていて何やら引き出し線には良くわからない文字が描かれていて、それがとてもカッコイイものに感じていたのだと思います。だから、飛行機、自動車、船の設計でも良かったのかもしれません。

今思い返すとそれでも建築を選んだのは「人が集まる場所」というのに引っかかったからなのかもしれません。飛行機、自動車、船どれも人が乗りますがあくまでも目的地に向かうために利用するものです。それに比べ、建築のほとんどは目的地になりそこで人が集まって何かをしたり、家に関しては生活をしたりと私たちの生活と切っても切り切れないところに惹かれたのだと思います。

今思うと、こんな感じなのですが大学時代は人生初のバイトとお酒や遊びにお熱で、特段優秀な成績を修めるでもなく普通に卒業できる程度の学生でした。

ピカピカの社会人1年生

そんな私も大学を卒業すると社会に出ることになります。

もっとも積極的に就活をしていた方ではなく、いつでも就活できるかなぁぐらいで考えていました。そうしていると、5月、6月、7月とダラダラ過ごすようになります。
そんな優柔不断な私を見かねてか親戚が、知人で設計事務所やっている人いるから会ってみる?、、、、、そうして出会った、弊社の佐藤社長(現会長)でした。

今思えばろくに敬語も使えない大卒を良く採用したなと思います。いつだったか、どうして私を採用したのですかと聞いたことがあります。確かその時の答えは、取り合えず雇ってみないと分からないから試しに雇ってみた。でした(笑)
今思えばそりゃそうだと思いますが当時の私は就職とか楽勝だなぐらいに思っていました。

今でも覚えているのが出社初日の夕方から間接が痛み出し夜に39度の付近の発熱がありました。きっとオーバーヒートだったのだと思います(笑)

入社以降、社長や先輩に指導されながら沢山の経験をさせてもらいました。個人住宅、クリニック、福祉施設などなど。新築、増改築、耐震診断・補強、定期調査。本当に多岐に渡って色々経験しました。エイプラス・デザインの特徴は医療福祉が主軸であるのですがジャンル問わず経験できるのが私の性分にはとてもあっていたのだと思います。

意識改革

多分入社3、4年目のころだったと思います。ちょっと仕事を覚えてきたところで私のターニングポイントがやってきます。ただ、当時は自覚してなかったです(笑)

先輩が担当していた、医療法人様の案件を引き継ぐことになります。これが、新築や増改築ではなく、既存の建物の営繕がメインなのです。例えば、既存の発電機を更新、漏水調査をして修繕計画を立てる、各営繕工事の見積り査定をする。などといった、これまで経験したことない業務のオンパレードです。一応サブで佐藤社長がフォローしてくれていましたが、ある程度は私が捌かないといけません。もうパニック状態です(笑)

一言でいうと分からないことが多過ぎる。

そして、施工業者との交渉や手配など、一日のほとんどを電話していたこともありました。これまでは、ある程度やっては社長や先輩のチェックを受けてチェックの際に色々教えてもらったり、そこで分からない事を後で調べたりして業務として成り立っていましたが、このような営繕の場合は、現場での対応力が必要とされました。この対応力は現場での経験や、施工者とのコミュニケーションで身につくと感じ、これまで以上に現場には行き、施工者へは疑問点や、一度聞いて理解できないことは分かるまで聞いていたと思います。多分めんどくさい奴だったと思います(笑)

ただ、医療法人様へ迷惑はかけられないので必死でした。

それでも、判断ミスは発生します。もちろん医療法人様からクレームやお叱りは受けるのですが、佐藤社長のフォローや医療法人様の寛容さに救われたこともありました。

おそらく、医療法人様へは担当として5~6年通わせていただきましたが、この時得た経験が今の私のクライアント様へのスタンスや施工業者へのスタンスのベースになっていると思います。

上京物語

ある日上司からお昼に誘われます。確か近所のうどん屋さんです。何やら大事な話がある様子です。そこで言われたのが、今度東京の会社と一緒になり、それに伴ってエイプラス・デザインの東京事務所を設置するから行ってくれないかと。

ほぼ即答で「行く」だったと思います。ろくに条件など確認もしないで(笑)

新しい環境でこれまでとは違う何かに触れてみたかったのだと思います。

最初の5年は赤字状態が続いていました、提携させていただいている白水社とのシナジー効果も上手く発揮できず悶々とした状態でした。

しかし、6年目ごろから協業のスタンスがお互いつかめてきて状況が好転していきます。

また、地道に入札参加していた公共案件も少しずつ落札できるようになって、6年目で黒字化することができました。嬉しさより安堵の方が当時は勝っていました。
なんてったって東京事務所の存続がかかっていましたので(笑)

これからのA+Dは

エイプラス・デザインが掲げるビジョンは、人々の生活を豊かにする建築サービスを提供することです。これを達成するために、4つの価値観があります。

お客様に歓喜をあたえること。
お客様と地域の未来を創造していくこと。
自身の設計力を高めること。
そして、自分も幸せになることです。

これらは、今までのエイプラス・デザインをガラッと変えたり否定するのではなく、これまでの歩みをベースにこれからの成りたい姿を言語化したものです。

おそらく内容はクライアント様からみれば当たり前のことだと思います。
ただ、この当たり前のことを高次元で成熟させていきたいという思いがあります。きっとそれは、自分たちにとっては当たり前のことがクライアント様にとってはスペシャルなことになっていることなんだと思います。